◆松﨑淳子さん
「『戦争はこれで終わります』と…。みんなが『負けた、どうなる…?』『家、帰る…?』『どうする?この学校…』と、みんな、下を向いて泣いていたのよね」

「お国のため」に生きながら、19歳で突然「敗戦」を迎えた松﨑さん。これから、この学校は、自分たちは、どうなるのか。将来の展望が何も見えないまま、心の中には“不安”だけがつのり、みんなで泣いたといいます。

しかしその直後、1人の先生が、松﨑さんたち生徒に向かって声を張り上げました。

◆松﨑淳子さん
「いつの間にか、先生が講堂の上に上がっていって…。『これからの日本を立ち上げるのは、君たちだ!』と…」

「軍国主義」の教育を受けながら育ってきた松﨑さんには、その言葉が大きく響きました。終戦後の10月に国際連合が設立され、"人権の時代"がやってきたことで「目から鱗(うろこ)が落ちた」と語る松﨑さん。そこから「学問で身を立てていこう」と「教師」の道を歩み始めます。

「高知女子医専」はその後「高知女子専門学校」となり、1949年に「高知女子大学」となりました。松﨑さんはこの「高知女子大学」で副手となり、1973年には教授に。調理学を専門に研究し、長年、教鞭を取りました。そして1992年に定年退職した後は名誉教授となっています。(高知女子大学は2011年に高知県立大学へと校名変更)