かつて、旧陸軍が毒ガスを製造していた大久野島(広島・竹原市)…。この瀬戸内海に浮かぶ島で先週、後遺症などで亡くなった人を悼む慰霊式が営まれました。その歴史と今です。


竹原市 忠海沖に浮かぶ周囲およそ4キロの大久野島です。


この日(10月21日)、島の慰霊碑で行われた追悼行事には、被害者や遺族などおよそ100人が参列しました。


大久野島では、旧陸軍が昭和2年(1927年)、「毒ガス工場」を建設。最盛期で常時、6000人余りが働いていたとされていて、戦前・戦後を通じ、多くの人が毒ガスが原因とみられる後遺症で苦しみ、亡くなったといいます。


島の存在は、終戦まで日本の地図から消されていました。


式では、新たに49人の名前を書き加え、4104人となった死没者名簿が奉納されました。


毒ガスの被害を受けたという伊勢本学さん、86歳です。工場で働いていた父を送り迎えするため、島によく上陸していたといいます。父は、肺にがんを患い、亡くなりました。


伊勢本学さん
「家におってもあちこち(父の)たんが散らばって、苦しい目を見てきたので、亡くなってはいるが、現代の人も(病気が)よくなるようにお願いしたい」


伊勢本さん自身も毒ガスによる被害を国に認定された1人で、今でもなお、後遺症と戦い続けています。

伊勢本学さん
「ぼくはもう長く生きることはできないが、これからも続けてほしいと希望している」


― 被害者と遺族の高齢化は一段と進み、残された時間は長くはありません。負の歴史の継承が大きな課題となっています。