舞台とは異なる、“信じて任せる”演技のあり方

日曜劇場『キャスター』より、阿部寛、月城かなと
日曜劇場『キャスター』より、阿部寛、月城かなと

何度も同じセリフを、微妙に角度を変えながら繰り返し撮影するという映像独特のスタイルに、最初は強い戸惑いを覚えたという月城。「一度通して演じて、そこで生まれた感情を観客と共有するのが舞台。だけど映像は、“その一瞬”のために感情を何度も立ち上げていかなければいけない。それがすごく不思議で、難しかったです」。

だが、編集された完成映像を初めて見たとき、ある種の驚きと喜びが同時に押し寄せた。「自分が信じて表現したごく短い一瞬が、丁寧に切り取られて、きちんと伝わる形になっていた。『あ、この表情を選んでくれたんだ』と分かったとき、ようやく“映像の芝居”の面白さが腑に落ちた気がしました」と心境を教えてくれた。

舞台では照明から空気感まで全てがリアルタイムに作用し、役者自身が最後まで責任を持って物語を運ぶ。それに対し、映像の現場では、役者の演技が「素材」として編集の手に渡り、映像として再構成される。「最終的にどう見えるのか、自分には分かりません。スタッフの方々への信頼が必要不可欠で、だからこそ自分は“真実の一瞬”を出すことに集中すればいいんだと思えるようになりました」。月城の中で、演じることの意味が少しずつ変わっていった。舞台のように“全てを見せる”のではなく、“ほんの一瞬に託す”こと。その潔さと繊細さが、新鮮だったのではないだろうか。

「これまでは、自分がどう見えているかを常に意識して舞台に立っていました。でもカメラは、私が想像しない表情や角度をすくい取ってくれる。だからこそ、自分を作り込まず、どれだけナチュラルに、役としてその場に存在できるかが大切になる。まだまだ勉強中ですが、今はその違いを面白いと思えている自分がいます」と語る。

役作りにおいても、より“自然体”でいることを意識するようになった。演じるというより、そこに“生きる”感覚。ほんの少しの首の動き、視線の揺れにも意味が生まれる映像の繊細さは、月城にとって新しい刺激となった。