80年前の4月21日、太平洋戦争でアメリカ軍機と交戦し、不時着し戦死した旧海軍・林喜重大尉の慰霊祭が鹿児島県の阿久根市でありました。

林喜重大尉は、終戦の年の1945年4月21日、戦闘機「紫電改」で霧島から出撃。アメリカの爆撃機「B‐29」と交戦後、阿久根市沖に不時着し戦死しました。

林大尉の命日のきょう4月21日、阿久根市折口の浜では、初めて慰霊祭が開かれました。地元のNPO法人が主催し、遺族や関係者などおよそ40人が参列しました。

(参列者・阿久根市から)「小さいころから紫電改の話は親から聞いていた。戦争遺産はずっと語り継いでいかないといけない」

(林大尉の部下と交友・福岡から)「(部下が書いた)詩。常に部下の心は大尉や皆の名前が残された阿久根にあった。その心は繋いだと一言言いたくて来た」

NPO法人は、東海大学とともに引き揚げなどにむけた調査を行っていて、両翼や機銃とみられる残骸を新たに発見しました。

(紫電改・林大尉機を引き揚げる会 肥本英輔代表)「ウミガメの産卵地で観光地でもあるので、様々な観点から課題をクリアしていかなければならない」

早ければ年内にも機体の引き上げを始めたいと話しています。