▼知念正行さん(86)
「あっちで隠れていた、最後。一晩潜んでいたんです、家族7人で。この岩陰に」
伊江島に住む知念正行さん。6歳の時に、この島で戦争を体験しました。
「大きな石に引っかかって転んだわけ。泣いたんですね。母親がまた起こして。もちろん裸足だからね。足もけがしながら」
1945年4月16日、米軍が伊江島に上陸。当時6歳の知念さんは、家族で自宅近くの防空壕に身を潜めていました。
「夜も昼も砲弾がバンバン飛んでくるわけだから、お家はみんな焼けていく」
攻撃が激しくなり、家族とともに防空壕を出た知念さん。アダンの木の下や岩場の陰に身を隠し、三日三晩を過ごしました。

「周囲はずっと戦艦が見えているわけです、近くに。艦砲射撃。また部落内は上陸して戦車で来るもんだから、そこしか場所がなくて。そこにも居られなくなって、イチかバチかと思って上がっていったわけですね。そして捕虜になって助かったわけです。家族7人」

▼知念正行さん(86)
「10メートルぐらい重機で掘って―」
戦後、役場で働きながら沖縄タイムスの通信員を務めた知念さん。40年以上にわたって、島に残る戦争の傷跡を記録し続けました。
「これ、厚生省の遺骨収集ですね。40近い発掘現場から3か年で200体近い遺骨が出てきてですね。古い墓の中で避難している方々もいるし、また外に出たときに射撃で亡くなった方々もいる。毎回立ち会いして戦争の激しさ、無残さ、遺骨を見るたびに胸が痛みました」
伊江島では去年、戦没者とみられる20人相当の遺骨が新たに発見されました。
「ただ祈るだけですね。戦争はなくしてほしいと。悲惨な被害者が出るわけですからね」
伊江島では、犠牲となった人の多くの遺骨がまだ見つかっていません。80年経っても今なお、戦争の記憶はそこに留まり続けています。
