1127人が犠牲になった甲府空襲で動物園も壊滅的な被害を受け、終戦翌年から6年間は民営となり承吉さんが直接動物園を切り盛りしました。

その当時の園のスター的存在がアメリカのユタ州から送られたライオンの「冨士子」!
貴重なライオンが甲府にやってきた背景の一つには承吉さんが戦後手がけた甲斐犬をアメリカに送るといった活動がありました。
2代目園長 承吉さんの孫 小林勤さん:
「甲府の復興のために まずはできるところからと、戦後の大変なときにアメリカと交換し合う。本当に動物園は平和の象徴だと思う」