報道されない部分に潜んだ住民の思い

個人経営の小さなお店が軒をつらね、活気にあふれていた神戸・長田区の菅原商店街。地震で大きな火災に見舞われ、アーケードの骨組みだけがかろうじて立っていた。
地震からまもなく、化粧品店を再建しようとしていた岸本明美さん。避難所でお客さんから「化粧品を何とかしてほしい」と声を掛けられ、店を再開させると決めた。

キノヤ化粧品店 岸本明美さん
「避難所に行ったら『乾燥して顔が痛い』って言われるんだけど、『化粧品仕入れできないですかね』『サンプル無いですか』って。そしたら『(メーカーが)見繕って持っていきましょう』ってことで。とりあえずテープで化粧水と乳液をくっつけてセットにして、避難所に持って行って。泣いてね、喜ばれる方がいて」
岸本さんの化粧品店は今も(2024年11月)営業を続けていた。いつもお客さんがいる、地元で人気のお店になっていた。

お客さん
「ちょっと太ったでしょ」
岸本さん
「うん、いい感じに。今ぐらいがいい」
菅原商店街は阪神・淡路大震災の象徴のように、メディアで取り上げられてきたが…。

岸本さん
「めっちゃ嫌でした。何が分かるのって。以前を知らないくせに、大変ですねーって」
「たまたまここは焼けたり、被害が大きかったからクローズアップされているけれども、二次災害っていうのか、直接でなくてもそのことで全く仕事が無くなったりとか、全く体が動かなくなったりした人も、焼けた人と同じぐらい大変なんですよ。でもそこって取り上げないところじゃないですか。だからその人たちもまた、こういう(報道された)映像を見ると違うよそこ、と思うと思うし...」
「だから、報道の仕方って難しいんだろうなと思いますけど…本当にかわいそうですよ。だけど、あなたにかわいそうと思われたくない。でも30年きたから話せることやし、30年の積み重ねでこういうふうになったと思うし」