「カメラ撮るヒマがあったら手伝え!」取材する側 される側の葛藤
阪神・淡路大震災が起きた午前5時46分。大阪市にあるMBS・毎日放送も激しい揺れに襲われた。
宿直勤務の仮眠室で飛び起き、カメラにすぐ手を伸ばした、入社1年目の工藤輝樹カメラマン。

少ない情報から工藤カメラマンは西へ向かう。
工藤カメラマン
「西宮市の阪神高速道路です。高架道路が垂れ下がっています」
「かなりの角度で道路が傾いています。上り線下り線とも走っていた車がすべて、左側の隅に」

2024年9月、地震直後からカメラを回し続けた工藤カメラマンに当時の話を聞いた。

MBS人事局 労政部 工藤輝樹元カメラマン
「(西へ)進めば進むほど、全体がひどい被害状況で、(撮影で)どこを切り取っていいのか分からない」
清水アナウンサー
「目の前で亡くなっているわけですよね。その時の工藤さん自身の感情はどうだったんですか」
工藤元カメラマン
「確かに、こんなひどいものを撮って、となりますよね。本当にそれを視聴者が求めているかといえば…求めていないものをわざわざ撮影する意味はないのかなと思いますけど」
清水アナウンサー
「その葛藤に、答えはあるんですか」
工藤元カメラマン
「ないと思いますね。ただ、こういう仕事を選んで、している立場であれば、目の前に展開したものはすべて撮る。記録がおろそかになると取材対象にも失礼ですし、結果として、情報は不完全になってしまう」
もう一人、大阪市内の自宅から、いち早く神戸へ向かった新人記者がいた。
羽根俊輔記者は、兵庫・西宮市のマンション倒壊現場で取材を始めた。

羽根記者
「ここは西宮市の夙川の駅前です。私の後ろにありますように、マンションが、ほとんど倒れてしまっています。出入口は完全にふさがっておりまして、皆さん窓から出入りしておられるような状態です」

室内には閉じ込められた人がまだいた。救助する人々を、カメラでとらえていた羽根記者に強い言葉が。
羽根記者
「4人、ひとがいるんですか」

住民
「カメラ撮るところやないで、手伝えよ」
「カメラ撮るヒマあったら手伝えって!」
この日、被災地からリポートを続けた羽根元記者にも話を聞いた。

MBS報道情報局 羽根俊輔元記者
「すごく衝突というか、現場の人たちに怒られて。『そんなヒマあったら手伝えー』と、怒鳴られるようなことが段々起きてくる」

清水アナウンサー
「本当に目の前で人が死にかけているとなると、私はカメラを向ける勇気がないです」
羽根元記者
「僕もそこは一緒で、目の前で足が見えているとか、リアルに人と向き合っていたら、それはみんなやりますよ、もちろん。知識として、まだここに人が埋まっているんです。重機持ってきてもどうにもならないことって直感的にわかるじゃないですか」
清水アナウンサー
「でもこういうお話を聞いて、(当時の)映像を見ると、想像しただけですごく怖いんですよ。(自分なら)何もできる気がしないというか」