中本佐智さん
「同じく駆け付けた親戚たちに説得され、大貴のつながっている管を外してもいいということを最終的に判断したのは私です。
10年経ちましたけれども、その時に処置を辞めてもらう判断を下したことをずっと後悔しています。」
「通夜の前日、いつも家族3人でテレビを見ながら、ご飯を食べたり笑ったりしていた部屋に大貴の布団を敷いて、ドライアイスに包まれた大貴と一晩を過ごしたことは覚えています。
病院で触ったときは今の私達と同じような体が、ドライアイスに囲まれて硬くて冷たくてガチガチだった事、その大貴を抱きしめて一晩過ごした事、それは私にとってこの手が覚えてる一番悲しい感触です。」
当時22歳だった大貴さん。親子で触れ合うことは少なくなっていたそうです。
中本さんは、大きくなるにつれて触れ合う機会がどんどん減ってしまうのは仕方がないことだが、大切な人とは、触れ合えるうちに触れ合ってほしいと涙をこらえながら話しました。