ミャンマー最大の都市、ヤンゴンに暮らす叔母の安否は、地震の翌日に電話で確認することができました。

スーザさんは、長年母国ミャンマーに学校を建てる活動をしてきました。
特に被害が深刻なミャンマー中部の都市マンダレーの学校は夏休み中で、地震発生時は建物の中に生徒はいませんでしたが、天井や壁が崩れ、再建に時間がかかる見込みです。
この学校の教員からは、現地の状況などの連絡を受けているということです。

スーザ・ミョータンさん:
「まず水がない。運送がうまくいっていない。道路などが、日本の震災の時に全部道路が壊れて盛り上がって通行できなくなったじゃないですか。ヤンゴンからマンダレーまでの道もああいう状態のところもある」

東日本大震災を仙台で経験したスーザさんは、当時のことをミャンマーの人々に伝えてきました。

スーザ・ミョータンさん:
「心が痛くて悲しくてつらい思いをしましたけど、前向きな気持ちで復興に向かっていかなければいけないということを実感していたので」