「あって当たり前、なければ困る存在」
毎年初蹴りの朝、一番最初に顔を出すのは、1984年度全国高校サッカー選手権大会3位の時のキャプテン、植田光紀さん。今年も一番乗りでやって来た。そして、中山雅史さん(現:アスルクラロ沼津監督)や当時のチームメイト、後輩たち、そして恩師の鎌田昌治さんも顔を出した。
高校時代はもちろん、卒業後も年に1度、正月の初蹴りには必ず立ち寄っているという中山さん。
Q.森パンの思い出は?
「漫画を読んでいたり、森パンのおばちゃんとOBのことやこれまでのサッカー部の歴史の話をしたことが思い出です」
Q.閉店は知っていたか?
「昨年の秋口にサッカー部の先輩から聞きました。僕らの当たり前になってくれていたので、『え!閉めちゃうの⁉』という驚きがあったと同時に、森パンをずっと開けてくれていたことに感謝の想いが生まれた心境でした」
Q.高校時代によく買っていたものは?
「レモネード飲んでいました。ねじってある“あられ”みたいな、ちびっこ横綱をよく食べていました」
Q.中山さんにとって森パンはどんな存在か?
「空気のような存在。あって当たり前、でも、なければ困る存在」
Q.おばちゃんへ
「おばちゃんの顔を見ると安心する自分がいるので、いつまでも元気でいてもらいたいです。そしてお店はやっていないのかもしれませんが、藤枝東のすぐそばで存在を放ってもらいたいです」

続いて、2024シーズンで現役引退した元ジュビロ磐田の山田大記さん(2007年卒)もやってきた。
Q.高校時代、森パンへはどれくらい行っていたか?
「部活帰りに週に 1.2 回は行っていたと思います。 下級生の時はサッカー部の先輩などもいるので行きづらかったのですが、3年生の時は頻繁に行っていました」
Q.卒業してからも立ち寄ることがあったか?
「藤枝に行った際には立ち寄っていました。年に1、2回だと思います。いつ行ってもおばちゃんが温かく迎えてくれてうれしかったです。プロになり、食事には気を遣っていると話をしているのに、帰りにスナック菓子やジュースを無理やり持たせてくれました(笑)」
Q.森パンでの思い出は?
「冬に部活帰りに寄って、ストーブの上で温めてあるお湯でブタメンを食べていたのが一番印象に残っています。ただ、森パンにはいつも何かを買いに(食べに)行くのではなく、おばちゃんに話に行くという感覚でした。みんなサッカーや恋愛の悩みを打ち明けていました。
試合に出れない、勝てないなどと口にすると、おばちゃんは藤枝東高校の歴史を知り尽くしているので 『パッとしないと言われていた学年が全国で結果を残した』とか『下級生の時はなかなか試合に出れなかったけど、3年生の最後に活躍したOBがいたよ』などと、いろんなOBの話を持ち出して、僕たちを励ましてくれました。
そんなやさしく穏やかなおばちゃんですが、曲がったことは嫌いで、誰かの悪口や愚痴を口にすると『あんた、そんなぐちぐち言ってるとみっともないよ』とか『そんな愚痴を言ってても何も変わらないよ。悔しいなら練習しな』と発破をかけてくれました。
また、僕は県⻄部の出身だったので、藤枝東の歴史や伝統について、おばちゃんからいろいろと教えてもらいました。特に藤枝東の歴史や伝統について喋り出すと止まらず、なかなか帰れなかったのですが、それも良い思い出です」
Q.山田さんにとって森パンはどんな存在だったか?
「僕は親元を離れて寮生活をしていたので、寮としてお世話になっていたシルビアと森パンが、心安らぐ居場所でした」
Q.森パンのおばちゃんへ
「⻑い間お疲れさまでした。そしてありがとうございました。まだまだ元気でいてください。また会えるのを楽しみにしてます」
もちろん、サッカー部以外にも常連だった生徒はたくさんいる。