20年間で変わったものとは

群馬の森にあった追悼碑=©TBS DOCS

神戸:県立公園「群馬の森」は、私も子供の頃に訪れたことがあります。そこに、戦前に事故などで亡くなった朝鮮人労働者を追悼する碑が2004年に建てられました。当時、県議会も全会一致で設置に賛同していたのに、なぜ撤去されてしまったのでしょうか。知事である山本一太氏の意向が大きかったようですが、どう捉えていますか?

三宅:かつて碑の設置を認めた群馬県が、20年後に撤去を決定しました。この間に一体何が起きたのか、何が変わったのか、という疑問が取材の起点になりました。知事も様々な社会的圧力や軋轢を受ける中で、撤去の判断に至っていったと考えています。

山本一太群馬県知事=©TBS DOCS

神戸:この碑は「反日的」と批判されましたが、実際にはアジアの平和と友好を願う内容を刻んだものでした。また、設置当時は全会一致で承認されたものです。過去に何が起きたのかを忘れず、歴史を直視しようという思いで設置された碑が、「これは反日的である」と圧力をかけてきた団体もありました。この圧力に知事が追い込まれた、ということでしょうか?

三宅:初回の追悼式(2004年)は県職員も立ち会う中で行われましたが、それから8年後になって急に「あの時の発言が問題だ」と指摘し始めました。その時期に抗議が急増していたことを考えると、こうした抗議の影響が大きかったと推測されます。

やるせない思いに

神戸:出席者が「強制連行の事実を訴えたい」と発言したことが、後になって問題視されたのですね。

三宅:その通りです。

神戸:平和と友好を願う碑が撤去される事態について、私は1年前のラジオ番組で「私の故郷が汚される気がする。撤去を止めてほしい」と話しましたが、その思いは変わっていません。歴史を直視し、未来につなげていく努力が必要だと感じます。三宅さんは取材を通じてどのような印象を持たれましたか?私自身、脱力感というか、無力感というか、悔しさを強く感じています。

三宅:まさに同じです。撤去直前の最後の日には多くの人が追悼碑の前に集まりましたが、その場ですら荒らしに来る人たちもいました。追悼碑を設置した人たちの思いや、「救われた」と語る被害者の声を取材で聞いてきただけに、最後の集会の状況を目の当たりにして、本当に悔しく、やるせない思いになりました。