■神港学園 鶴岡一成「ボランティアに冷たい声」
もう1校、神戸市中央区から出場したのが、阪神タイガースでも活躍した鶴岡一成さんがキャプテンを務めていた神港学園。
鶴岡さんは今、韓国・ハンファイーグルスの2軍コーチとして選手を支えている。高知県で若い選手たちとキャンプに励む鶴岡さんに、当時の思い出を聞くと、予想もしなかったエピソードがかえってきた。
「神港学園のある神戸は被害も多かったので、ボランティアを行ったんですが、『選抜に出たいからアピールのためにやっているんだろ』とか、いま思えば、高校生に厳しい言葉がありました。高校生なりにみんな傷ついた」
大人になった今、当時は被災者側がみんな苦しく、余裕がない状況だったのだろう、と理解も見せるが、当時はかなり思い悩んだという。
そんな葛藤の中で迎えたセンバツ大会が、野球の楽しさ、そしてチームに笑顔を思い出させてくれたという。神港学園はこの大会でベスト8に進出した。
■報徳学園 永田裕二監督「全員野球の原点」
さらに、指導者にとっても特別だったあの年の大会。当時、報徳学園を率い現在、日大三島で監督を務める永田裕二さんは「自身の原点となる大会」と位置づける。
兵庫県西宮市にある同校は、震災で校舎に被害が及んで授業はできず、終業式は選抜の初戦のアルプスで行われた。
当時26歳の永田監督にとって、この大会がはじめての甲子園、「アルプススタンドを見て涙が出た」という。
その後、全国制覇の経験もある永田監督がいまも続ける「全員野球」その原点だった、とふりかえった30年前の甲子園大会だった。
記憶と記録に残るセンバツ高校野球、今年はどんなドラマが見られるだろうか。














