今年もセンバツ高校野球が開幕し、球児たちの春がはじまった。30年前の3月25日、阪神・淡路を襲った未曽有の大震災からわずか2か月後に、第67回選抜高校野球大会が開催された。甚大な被害を受けた兵庫県からは3校が出場し、被災地に大きな希望を与える活躍を見せた。あの“特別な大会”に出場した3人に話を聞いた。
■育英 藤本敦士「避難している人たちが、涙を流して喜んでくれた」
「特別な大会ですし。この話を風化しないようにやっていくのが僕らの使命。」そう語るのは、阪神タイガースの総合コーチを務める藤本敦士さん。
当時は17歳、阪神淡路大震災で最も大きな被害を受けた地区のひとつ、神戸市長田区にある育英高校のキャプテンだった。
藤本さんの実家は明石にあり、それほど大きな被害はなかったというが、チームメイトの中には、自宅に住めない状況になった生徒も多く、被害の少なかった仲間の元へ、ホームステイするような形をとって練習を続けていたという。
藤本さんの実家でも友人をひとり受け入れており、ともにキャッチボールをするなどして野球の練習は始めていたが、「こんな状況で、野球をしていいのか」と、後ろめたい気持ちがつきまとい、センバツ大会が始まっても、同じ気持ちは続いていたという。
しかし、その考えを変えてくれたのは、育英高校に避難していた被災者だった。
1回戦、育英は前年の神宮大会優勝校の創価と対戦。2回に先制すると、リードを守り切り6-2で勝利。
宿舎に戻り、テレビのニュースを見た藤本さんたちの目に飛び込んできたのは、育英高校の体育館でテレビを囲んで応援をしていた被災者の姿だった。
「避難している人たちが、涙を流して喜んでくれた姿を見て、肩の荷が下りた」と話した藤本さん。
野球をすることで喜んでくれる人たちがいる。そして、多くの方に支えられて、野球ができるんだと感じることができた大会だった。














