小道具・毛布そのまま…倉庫に避難“2人で毛布を”

これは震災前の中浜小学校の避難ルートです。本来は、歩いて20分かかる、坂元中学校を目指すべきでした。しかし…
中浜小学校 井上剛 元校長
「10分後に、ここに津波が来るということが言われていまして。津波って、突然来て、あっという間に襲ってくるので、垂直避難しかないと判断」
井上さんが懸念したのは、避難場所へ向かう途中に津波に飲み込まれるリスクです。
中浜小学校 井上剛 元校長
「時間があれば内陸に行く。ただし、後ろから(津波に)追われるリスクと、それを天秤にかけなきゃならない」
内陸の高台に逃げるか、屋上に逃げるか。結果、“避難マニュアル”にはなかった垂直避難を決断しました。

中浜小学校 井上剛 元校長
「助かったとしても、これが『正解だったか』ということは、なかなか分からない。ですから、また同じ事が起きたら、また悩むんだと思います」


当時この場所で被災 千尋真璃亜さん(23)
「この辺だったような記憶があります。児童は2~3人で、毛布を分け合いながら。この毛布があったお陰で少し寒さをしのげたのかなと」

当時この場所で被災 千尋真璃亜さん(23)
「(Q.津波が来ているときの音とかは?)地鳴りのような、『ごー』というのが、ずっと続いてる。(先生が)津波が来ると言ったときは、鉄骨の柱の上に上がれって言われて。(Q.ちょっとでも高いところに?)少しでも高いところにということだと思うんですけど。ここまで来ないでくれって思いながら、みんなでへばりついてしのいでました」

助けが来たのは、一夜明けた翌朝でした。

当時この場所で被災 千尋真璃亜さん(23)
「朝までここで頑張ったんだなと、そこで安心しました」
つながった「いのち」。だからこそ伝えたいことがあります。

当時この場所で被災 千尋真璃亜さん(23)
「あの時の記憶は忘れられないもので、辛くなる部分はやっぱりまだあって。こういう経験をした身として、次は守る側になれるようにと常に思っています」