鹿児島市の平川動物公園は、今月14日で開園50周年を迎えます。園についてシリーズでお伝えします。1回目はこの50年の歩みです。
開園50年を迎える平川動物公園。しかし、その前身の動物園を含めると、歴史は大正時代にまでさかのぼります。
(記者)「今から106年前、大正5年に全国で4番目の動物園がここ、鹿児島市鴨池に開園しました」
鹿児島市電の前身である鹿児島電気軌道が開いた鴨池動物園。昭和に入ると、電車事業とともに鹿児島市が買収し、市営となりました。
1952年に作られた観光鳥瞰図からは、動物園だけでなく、遊園地や海水浴場、空港など様々な施設が鴨池地区にあったことがわかります。
そのころの鴨池を知る、中野啓一郎さん・カツエさん夫婦です。家族が営む和菓子店は、鴨池動物園の開園翌年に食堂としてオープン。のちに駄菓子屋も兼ねるようになり、和菓子店となったのです。「とら屋」という屋号も、かつて動物園があったことに由来しています。
(とら屋 中野啓一郎さん)
「今車庫になっている(店の前の)列が猛獣舎。トラとかクマとか。それらがちょうど店の前で見えていたので『とら屋食堂』。子どもたちが来ると、ここでいっぱい(お菓子を)買って、それをもって(動物園の)中で食べる」
しかし、高度成長期に周辺の市街地化が進み、騒音などの環境の悪化や敷地の狭さなどが問題となり、1972年に平川に移転することになったのです。
あれから50年。今は門や塀の一部がその名残を留めるだけで、鴨池に動物園があったことを知らない人が増えています。
(とら屋 中野カツエさん)
「鴨池動物園を知っている人がいなくなった。寂しくなった」
そして、1972年10月14日に平川動物公園が開園。動物の数は150種1100匹と、当時としては西日本一の規模でした。
酒匂猛さん、79歳。園が平川に移転する半年前に獣医師として入り、のちに園長も務めました。そんな酒匂さんにとって一番の思い出は…
(酒匂猛さん)
「やっぱりコアラが来たこと。最初は鹿児島にコアラが来るのかと、みんな半信半疑だった。でも実現した」
コアラは1984年に初来日しましたが、市民を巻き込んだ9年越しの誘致運動が実り、この時、2匹が鹿児島に来たのです。たちまち人気者となり、一般公開初日には1万6000人が集まりました。
(※当時のインタビュー)
「人形よりもかわいかった」
「実際に見てかわいい」
ただ、コアラの飼育は初めてだったため、苦労も多かったといいます。
(酒匂猛さん)
「コアラを触ることに神経質だった。腫れ物に触るような感じでコアラに接していた。コアラもそれにおびえて神経質になっていた」
その後は国内初の繁殖にも成功。今ではコアラの数は国内最多の18匹になり、園を象徴する存在となりました。
しかし、2000年代に入ると、来場者もピーク時の半分に落ち込み、施設の老朽化も目立つようになりました。そのため、2009年から7年かけて園をリニューアル。ホワイトタイガーも仲間入りし、園の新たな顔になりました。
リニューアルした園では、動物たちをより間近に見ることができるようになり、飼育員によるイベントも増え、多くの来園者でにぎわうようになりました。
(酒匂猛さん)
「私たちが勤めていた頃の飼育係は、縁の下の力持ちだから表に出ない風潮があった。今は積極的に動物とお客さんの間に立って説明したりしている。動物園って人々にとって楽しいところなので、大変だろうが頑張ってほしい」
平川の地に移って50年。時代とともに変化もあったものの、今も世代を超えて多くの人に愛される場であり続けています。
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