“奇跡”という美談で片づけないでほしい

今は名古屋に移り住み、「語り部」として活動する紺野堅太さん。

(紺野堅太さん)
「一番最初に語り部をスタートしたのも高知県なので、思い入れがある」

大勢の命が失われた中、自分たちが避難できたことを「奇跡」という美談で片付けないでほしいという、強い思いも。

(紺野さん)
「(奇跡と呼ばれることに)ぶざけるなと思っていた、自分たちのきれいなところしか見ていない」

中学1年の時、想定をはるかに超えた津波を生き延びた、紺野さん。

(紺野さん)
「大丈夫だろうと思って家に帰って、第二波で流された人もいる。正しい知識をもって思い込みで避難せず、自分ごととして避難訓練を重ねていたら、命を落とさなかった人は多かったと思う」

3月7日、四日市市の中学校で講演を前に訪れたのは、学校の近くにある川や通学路です。

(紺野さん)
「海抜1.7メートル。あんまり高くはない。波はここから押し寄せてくる。町の方に入ってくるという予想になっている」

中学から約4キロ離れた海辺にも足を運びました。

(紺野さん)
「すぐ目の前が海で標高も高くないと思うので、津波が来る感じがする」