「本気で死ぬかもしれないと思った」

当時、紺野さんと同じ中学の2年だった、川崎杏樹さん28歳。

今は地元・釜石市の復興施設で働いています。あの日、中学生たちが逃げた道を川崎さんとたどりました。

(川崎杏樹さん)
「向かい側に見えるところが当時崩れたところ。近所に住んでいるおばあさんが(山が)崩れている様子を見ていて、このままここにいたら死んでしまうと先生に話してくれた」

川崎さんたちは、普段の避難訓練よりもさらに高い場所を目指し、地震発生から約30分後、海抜15メートルの施設に着きました。

(川崎さん)
「ここから見えた時には町全体が津波にのみ込まれていた。奥にある灰色の防潮堤の高さまで海面が上がっているようなイメージ。本気で自分が死ぬかもしれないと思ったのはこの場面」

その時を捉えた写真には、町を飲み込む津波を見つめる子どもや、津波を見て必死に高台へと走り出す子どもの姿が。津波は5分ほどで施設の近くまで達しました。

川崎さんも奇跡ともてはやされたこの時の行動について、こう話します。

(川崎さん)
「当日避難することができたのは防災学習をやっていたおかげ。“奇跡”ではないとずっと感じていた」