3月7日、三重県四日市市の中学校。防災の授業で津波の体験を話す男性がいました。
「あれだけ大きな津波が来るとは思わなかった」
いまは名古屋に住む、紺野堅太さん27歳。中学1年の時「あの津波」を生き延びました。

生まれ育った岩手県釜石市の鵜住居地区には10メートルを超える津波が襲い、約600人が亡くなりました。
当時のハザードマップでは、小学校も中学校も「想定浸水域」の外でしたが、津波は、校舎3階に車を押し上げる高さに。

学校指定の避難場所は少し離れた駐車場でしたが、紺野さんたち中学生は小学生と共に「自分たちの判断」で、より高いところへ逃げ、全員助かりました。
それは「釜石の奇跡」と全国から注目されることに。しかし、その言葉には抵抗があると言います。

(紺野さん)
「大切な人を亡くして、すごく悲しい思いをしたので、自分たちは奇跡と思っていない」
あの日を生き延びた子どもたちは複雑な思いを抱きながら、震災の経験を語り継いでいます。