「なみ福」に込めた、ある想い

「楽久」があった場所でラーメンを届けたい気持ちはありましたが、店が住宅街に立地しているので、駐車場がまわりに全然ありません。一番大事なことは「近隣の方たちに迷惑になってはいけないことだ」と、悩みに悩んだ末、難波さんは一大決心をしました。

【難波章浩さん】「新しく店舗を見つけました」

なんと「なみ福」の新店舗として案内されたのは、元々“海の家”として営業していた建物でした。

【難波章浩さん】「まず、駐車場が無限にあります。それとやっぱり、僕が小さい頃、ここによく来てたときは、もうめちゃくちゃ“浜茶屋”がいっぱいあって、すごく賑わってたんですけど、この“浜茶屋”という新潟が誇る文化も守りたいと思って」

海の家を「浜茶屋」(はまぢゃや)と呼ぶ、新潟独自の文化。この浜茶屋「おとひめ」は昭和48年に創業し営業を続けてきましたが、新型ウイルスの影響で、2年前に営業を停止しました。跡継ぎもおらず、難波さんが新店舗の物件探しをする中で、この浜茶屋の存在を知りました。

【難波章浩さん】「跡継ぎがいればなっていうことだったのかもしれないけど、そこをまたね、蘇らせたいなと思って」

ここに再び明かりを灯してほしい―

「おとひめ」のご夫妻から思いを託されました。窓からは佐渡を一望することもできます。

【難波章浩さん】「いよいよ始まりますね」

しかし、この建物で「なみ福」をスタートさせるには、大幅なリノベーションが必要でした。

【難波章浩さん】「このままだと”海の家”のラーメンになっちゃう」

難波さんは、やるからには他にはない空間を作り上げようとしていました。

【難波章浩さん】「まず自分たちの手で。できるだけDIYで作り上げたい」

難波さんの呼びかけに、多くの有志が協力を願い出ました。指揮をとるのがプロジェクトメンバーの1人、大工の斉藤巧さん。

【斉藤巧さん】「まず、天井を海側から順々に落としていきましょう」

天井板を大胆に剥ぎ取っていきます。

【斉藤巧さん】「やっぱり、このロケーションを売りにしたいなってのもありまして…。狭い空間で低い天井だったので、それだと、せっかく全面に海が見えてるのに開けてる感じがないので」

あっという間に天井裏の梁がむき出しに。

【斉藤巧さん】「驚かせたい。建物の外から中に入ったときの驚きが生まれるような空間を作りたいと思ってます」

とはいえ、オープンまでの道のりは、まだ長く…。

【難波章浩さん】「ただ『ミュージシャンがラーメン店をやります』とかそういうことでもなくて、”楽久”の女将さんの味を授かっているし、この角田浜も盛り上げたいという気持ちも、もちろんあるんで。いい場所を作って、新潟が誇る『日本一のシーフロントのラーメン店』にしたい」

さらに『なみ福プロジェクト』の次なる一手が!

【難波章浩さん】「僕たちは今回、クラウドファンディングをやりたいなと思いまして。…みなさんにお力をお借りしたい、お願いしたいなと思っております」

その額1500万円。クラウドファンディングで改修にかかる費用を募ったのです。
すでにクラウドファンディングは終了しましたが、集まった金額はなんと、2000万円を超えました。

故郷・新潟の閉店してしまったラーメン店を守りたいと始まった、この『なみ福プロジェクト』。築50年の浜茶屋を改築した新たなラーメン店のオープンを目指したプロジェクトが続きます。

~第3弾へつづく~

《第1弾》「伝統のラーメンの味を残したい!!」伝説のパンクロッカー ハイスタ難波章浩がラーメン店主に!」はこちらから