2つの国の狭間で―

戦火を交える2つの国の狭間で苦しんでいる人もいます。
(バベンコ・ヤーナさん)「ウクライナ国旗のカラー。ずっと応援しています」

ロシア南東部・アムール州出身のバベンコ・ヤーナさん(43)。2005年に通訳の仕事で来日し、5年前から鹿児島市で暮らしています。
ヤーナさんの母親の実家はウクライナ南部のへルソン州で、子どものころは遊びに行くこともありました。

(ロシア出身 バベンコ・ヤーナさん)「優しい人、懐かしい言葉、親しみのある風景」「私にとってウクライナ人とロシア人は、心は一緒」
ヤーナさんにとって「第二の故郷」でもあったへルソン州。ロシアから攻撃を受け、占領されました。

(ロシア出身 バベンコ・ヤーナさん)「(親戚から)『地下室にいる。外に出るのは危ない。隣りの人は死んだ』と連絡が来た」「ロシアにも簡単に帰れない、ウクライナにも行けない。(侵攻が)始まったころの自分の気持ちは、思い出したくない」
さらに、ヤーナさんを苦しめたのが、ロシアで暮らすいとこ家族のことです。いとこの夫、レフションコフ・アナトーリさんは軍人で、ヤーナさんやいとこの親戚がいるウクライナへ向かわざるを得ませんでした。

(ロシア出身 バベンコ・ヤーナさん)「最初、戦地に行った時は『地獄』という連絡が来た」「(彼は)自分の親戚を殺しに行くと分かり心臓の発作で亡くなった」
アナトーリさんは去年4月、ウクライナの戦地で亡くなりました。41歳でした。
停戦に向けた動きもある中、両国の将来に不安も抱いています。

(ロシア出身 バベンコ・ヤーナさん)「ウクライナ人とロシア人の対立があって、仲良くすることは近い将来はない。心(の限界)にたどりついた」
多くの命が失われたこの3年。ウクライナ人、ロシア人双方の心に深い傷を残しています。
県によりますと、県内では、虹夏さん家族を含め、15人が避難生活を続けています。