従軍カメラマンの柳田芙美緒氏は、部隊の「戦闘の合間」の様子をありありと記録しました。戦後に生まれた娘が、静岡県の自宅で残された写真に囲まれて暮らしています。
飯盒を手に笑顔で食事をする兵士たち。戦場で入る風呂は、彼らにどれほどの安らぎを与えたのでしょうか。
撮影したのは静岡県出身の従軍カメラマン・柳田芙美緒です。
記者
「失礼します。きょうはお話を伺いにまいりました」
芙美緒の三女・夕映さん(76)です。
記者
「こちらに貴重な写真がたくさん掛けてあるんですね」
柳田夕映さん
「こちらは居間ですが、床の間にあつらえました。家の中に英霊、あるいは戦友が帰ってきて、一緒に住んでいる。そのような意識なんです」
柳田芙美緒は、陸軍静岡連隊付きの写真師でした。出征する兵士を撮影していましたが、共に行動したいという気持ちが募り、命じられたわけではないのに満州に向かう連隊に付いていくことを決意します。
芙美緒は戦闘を撮るのと同時に生死を共にする戦友の表情を同じ目の高さで捉えました。
戦場の写真は空襲で焼失したと思われていましたが、戦後、写真がぎっしりと詰まったトランクを10歳の夕映さんが防空壕の跡で偶然、見つけました。
柳田夕映さん
「(父は)『これらの写真を世に出すために自分は今まで生かされてきた。編さんするために生かされてきたので、父のいることを忘れてくれ』と」
芙美緒はネガの復元作業に3年の間、専念しました。
戦後 芙美緒が書いた詩
「栄えある祖国のために戦った。生きのこる人々のために死んだ。その人達のかなしみを背負って生きる」
2万点とも言われる写真は、神社の一角にあった写真室に収蔵されていましたが、建物は老朽化により取り壊され、今は一般公開されず、夕映さんの住まいにあります。
記者
「図書館や資料館への寄贈は考えなかったか?」
柳田夕映さん
「(図書館などでは)終戦記念日、その段階でまつり上げるように展示をしていく。あとの11か月以上は倉庫に眠らせると。写真でも、生きているので、この時代の空気を深呼吸させたい。父が何を訴えて記憶に残したかったか。それが分かるのは、私だけではないか」
夕映さんは、残された写真と言葉に向き合い続けています。
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