被爆・戦後80年のシリーズ企画「ノーモア」「被爆体験者」と呼ばれている人達が被爆者認定を求めている裁判の控訴審が18日、福岡高等裁判所で始まります。最初の提訴から17年が過ぎ、原告44人のうち5人が死亡、うち1人は去年の長崎地裁判決で勝訴した原告でした。戦後80年、残された最大の被爆者問題は時間との戦いにもなっています。

「すみません、夜分に」去年、勝訴判決が言い渡された原告の1人でした。長崎市矢上町に住む、川久保潤之輔さん。去年の年末、他界しました。

長男・川久保克己さん
「親父はこう言ったのかな、僕らが死ぬのを待ってるのかな国はと」

長女・小林睦子さん
「国が自分たちが亡くなるのを待ってるんじゃないのかなーって。病気という病気を繰り返してきてるので、これでも認めてもらえないのは何でなんだろう?という思いは父親の中にあったのかな」

原告・川久保潤之輔さん(享年86)
「長崎の方から煙が上がっていた。おそろしかはよ逃げろって言ってね。原爆手帳もらうまでは頑張らないといけない」

最初の提訴から17年が過ぎた被爆体験者の裁判。去年9月、長崎地裁は原告44人のうち15人を被爆者と認める判決を言い渡しました。

爆心地から半径12キロの被爆未指定地域のうち当時の風下だった旧矢上、古賀、戸石村。ここに放射線を含んだ「雨」が降ったと初めて認定しました。

根拠は長崎県と長崎市が行った証言調査で「比較的『雨』の記述が多く見られること」。でも雨の証言は他の地区にもあります。

何より放射線が含まれていたのは「雨」だけで原告の多くが訴えた「灰」には含まれていないとした線引きに疑問の声が上がりました。

原告弁護団・中鋪美香弁護士
「そうじゃないんです本来は。黒い雨が降ったというのは放射性降下物が降下したひとつの形態でしかないわけです。そこが分かってない」

原告団長・岩永千代子さん
「これは間違い。この判事の判決文は。事実に基づいての判決ではない」

被告の長崎県、長崎市は国の意向に沿って控訴しました。

原告・山内武さん(81)
「取り下げるんだろ」

原告団長・岩永千代子さん(89)
「死ぬのを待ってるんですね。そうですよ、もうそれは分かります」

長崎市・鈴木史朗市長
「我々ですね水面下でも色々当たらせていただきました。それでもやっぱり(厚労省の)壁は厚かったです」

当時の岸田総理は控訴の意向を示す一方、「合理的な解決」策として被爆者と同等の医療費助成を始めると表明しました。