書き出しには懐かしい字でこうあった「2001年4月27日、国語の時間に書いています。“20年後に届く、あなたからの手紙”です。」


「こんにちは。2001年4月27日の清加です。元気にしていますか?いま結婚していますか?子どもは何人いますか?34歳の清加ってどんな顔だろう?美人だといいな。中学校はとても楽しくエンジョイしています。 
By the way…34歳の清加かあ。どうなんだろう。仕事ってなにしているの?あ、その前に高校は合格できているかな? それといまどんな人生をおくっているの?いまの清加には想像もつかないけど、とにかく前向きに頑張っている清加でいてください。34歳か、おばさんだね。お父さんお母さんは元気?大切にしてください。お姉ちゃん、弟2人はどう?とにかく幸せであることを心から願います。 
            ー中学生の清加より」

 新原さんはこの13年間、学校などで講話を続けている。中学・高校での講話は、2025年の錦江中学校で23校目となった。

「娘から父への最後のメールにあった“社会人として当たり前のことを当たり前にできるように頑張っていきたい”という言葉。この残された言葉を思い出すたびに、社会のためにもう何もできなくなった娘が、“私のことを子どもたちに話して、それで一人でも救われる子がいるならいいよ”と言ってくれているような気がします。


「死んだら忘れられていくし、事件も忘れられていくものだけど、こういう講話をすることで、娘は今からも、子どもたちや社会の役に立てると思うんですよ。私だけが何かしているんじゃなくて、娘とさせていただいているのが私にとっても嬉しいんです。これからも一緒にやっていきたいです。」

24年11月に招かれた講演の演題は「亡き娘と歩んだ13年」。あの日から重なった年を記した。

笑いあったり時にケンカしたり、帰省を喜んだり、新しい家族ができたり…10年後も20年後も、平々凡々としたごく普通の人生が続くと思っていた。

かつて想像していた未来には立っていない。でも、清加さんと歩いていく道は幸せにできる。いつも笑顔だった娘と一緒なら、それができると信じている。