遺族の思いを背に 潜水調査

2025年1月31日、韓国の遺族が山口宇部空港に降り立った。坑口から行われる潜水調査に立ち会うためだ。

炭鉱跡に近い西光寺。ここには犠牲者の位牌が安置されている。

遺族の1人、キム・ヨンチョルさん。長生炭鉱で働いていた祖父が、朝鮮にいる母親に宛てた手紙の内容が残されていた。

『証言・資料集 アボジは海の底』より
「必ず脱出して、必ずお母さんの所に帰ってきます」

キム・ヨンチョルさん
「事故がなくて、おじいさんが長生炭鉱にいたとしたら、必ず脱出していたと思う。手紙の内容を信じている。事故の時は脱出できず、時間が経ってしまったけど、早く見つけて、連れて帰ってあげたい」

井上洋子 共同代表
「ついに、この日を迎えたということで、ここに遺骨があるよということの証明をしたい」

3日間にわたる本格的な調査が始まった。遺族や「刻む会」の想いを背に、伊左治さんがかつての海底炭鉱へと入っていく。

目指すのは、遺骨があると考えられる、坑道の一番深い部分。坑口から350メートルほどの地点だ。潜水は1時間半におよんだ。

伊左治佳孝さん
「ふー、声が出ん」

サポートのダイバー
「いや、なかなかしんどい」

水が濁って視界が利かないため、調査はほとんど手探りで行われる。

伊左治佳孝さん
「(Q.遺骨はありましたか?)いや、もうちょっと先ですね」

坑口から250メートル程の地点で、散乱する木材などに行く手を阻まれたという。内部の状況は想像以上に悪い。

調査2日目。冷たい雨に濡れながら、400人以上が作業を見守る。

遺族
「(伊左治さんへ)気をつけて、気をつけて。そしてがんばれ、がんばれ、がんばれ」

木材の隙間をすり抜けて、前の日よりも15メートル先に進んだ。しかし、遺骨は見つからない。

調査3日目。遺骨を探す潜水は、最終日を迎えた。

だが、これまでの到達点・265メートルより先に進むのは難しい。遺骨があると考えられる地点まで100メートル足らず。

迂回路も探したが、見つからない。坑道からは、石炭や木の板が持ち帰られた。83年ぶりに遺骨が日の目を見ることはなかった。

井上洋子 共同代表
「遺族が来られて、伊左治さんと初めて出会って、伊左治さんに遺族の気持ちも伝わったと思いますし、伊左治さんの気持ちも遺族に伝わったと。ご遺骨に巡り会えるように、私たちも頑張っていきたい」