ラジオ公開放送に目覚める
澤田 ラジオと言うと台本を持ってやる。アチャコさんの人気番組「アチャコ青春手帳」※にしろ何にしろ、全部台本をこうめくりながらやって、浪花千栄子さん※※と、会話するのを見に行ったことあるんだけど。
※「アチャコ青春手帳」(1952年〜1954年):NHK大阪 花菱アチャコ 浪花千栄子
※※ 浪花千栄子:女優(1907〜1973)オロナイン軟膏のCMに長い間出演 本名は南口キクノ
松本 掛け合いやるの?
澤田 アチャコさんがしゃべってると、浪花千栄子さんが横へ出てきて、自分のとこになったらしゃべって、終わったら次の人が出てくるわけだから、これでどうして客が笑うんだろうって、いまだに不思議だね。あのラジオの公開放送にあれぐらい人が集まったっていうのはね。
「上方演芸会」※っていうのは、もう人気があって、西宮球場をいっぱいにした。これは分かるわけよ。実演を見たいっていうのはね、生を見たいってのは分かるけど、ラジオの公開放送もね、すごい人気だったからね。つまりあの当時のラジオっていうメディアは、全然別のイマジネーションの世界なんだよね。
※「上方演芸会」(1949年〜):NHK大阪
澤田 やっぱり、こう、目開けて見てるんだけど、そこで行われていることを耳で聞いて、頭ん中で自分の映像を作るっていうこと。僕らの知ってる「鐘の鳴る丘」※の巖金四郎※※っていう人の顔とかね、写真を見るまでは全然イメージが違うから。全然違うイメージでいったんだもんね。
※「鐘の鳴る丘」(1947年〜1950年):NHK
※※ 巖金四郎(1911〜1994):俳優 声優 朗読家
松本 一人ずつ違うもんね。
澤田 だから、あのメディアは、僕いまだに捨てがたい思いはするね、あの、イマジネーションっていうのは、テレビになってから全く必要ないでしょ。
松本 うん。うん。
澤田 その、見たままだもんね。
松本 うん。
澤田 だから怖いのは、見たままだから、見たまま人の中へ入ってくる。こいつはどういう私生活してるだろうとか。だから、売れたタレントは私生活無くなっちゃうよね。
プライバシーが無くなって「俺にもプライバシーがある」ったってそうは許されない。これはテレビのせいだと思うね。ラジオはもう完全にこっちの世界、聞いてる人の世界だから。だから、ラジオやったことはね、ものすごくその意味では自分の中で大きな、あの、なんかこう、演出術とかね。

すぐに番組を任され、頭角を現す
澤田 ラジオに2年半ぐらいいた時に、一応自分の番組がベストテンに3本ぐらい入ってましたからね。作ったものが全部ベストテンに入ったとかもあるから、もう、ちょっと若いけどね、お、俺はっていう感じだったね。もう先輩と違ってね、自分は若いタレントを何とか育ててやるとか、新作やるとか、いろんなこと任されてたから。
松本 うん。
澤田 で、これはね、考えるとね、僕に任した人が偉いと思うね。
松本 うん。
澤田 松本昇三※っていうデスクがいてね、これがね、何でも任しちゃうのね。
※ 松本昇三:元朝日放送制作局プロデューサー
もうともかく、TBS、東京放送とのネットのゴールデンタイムの7時半の聴取率20%、30%取るような番組を、第1回目から僕にやれって言うのね。「お、今度これやるから」、「あ、そうですか」って、僕は当然アシスタントだと思ってやるでしょう。で、本番の日なったら「おまえ、やれ」って言うわけ。
松本 うん。
澤田 で、ステージに出て、見よう見まねで前説※やって、手振って※※、録音して、持って帰ったら「編集もおまえやれ」、「えっ、僕がやるんですか?」、「やれ!」。で、やって仕上げて「いいですか?」って聞いて「いいよ、これで」って。その次は「枠付け」※※※ 。「おまえ原稿書け!」って、全部書かされて。
※前説(まえせつ):観客に事前説明すること
※※ 手を振る:演者に合図すること
※※※ 枠付け:番組の前後でスタッフや出演者等の説明を加えること
澤田 恐ろしいよ。僕いまだに、入ってきたやつに、いきなりおまえすぐやれっていう、そんな自信ないよね。

自信満々の時に突然「テレビに行け」
澤田 2年めに、自分の作った番組、「漫才教室」※と「浪曲歌合戦」と、それから、いわゆる大衆芸能番組でいうと、大阪の寄席のお囃子を集めて番組を作ったんですよ。これが3本とも民放祭に出したら賞に入ったんだよね。だからパーフェクトゲームじゃん、自分では。
※ 「漫才教室」(1957年〜1961年):朝日放送
澤田 大賞取って、優秀賞取って「お、これで俺は当分楽出来る」とね、先輩いっぱいいるけど、各社もいるけど、大体見えてきたから、もうそれぐらい思った途端に「おい、テレビ行け!」って言われてね。
松本 ほお。
澤田 まだ授賞式もないんですよ、賞もらったっていう知らせだけの時に言われた。だもんで、天国から地獄ですよ、自分では、はっきり言って。で、考えて、断りに行ったんですよ。「行かなきゃだめですか?」と。そしたら「業務命令だ」と。「業務命令に反したらどうなるんですか?」、「即、クビだ」って言う。クビになるのも困る。で、テレビが出来た時に見学に行った。
松本 うん。
澤田 これはもう神様でないと出来ないと思ったね、こんなことは。画像(え)を見て、台本見て。
松本 それで、時計を見て。
澤田 時計見て。カット割り※なんか分かんない、生放送だから1人で全部やるでしょう。これは絶対俺には出来ないと思って断ったら、駄目だって言われる。仕方ないじゃないすか。ラジオで賞だけもらったってそのあとラジオ番組やれないんだもん。これで少し楽になる、自分の仕事を自由に出来ると思った矢先、また一からAD(アシスタントディレクター)じゃないですか。
※カット割り:どのカメラで、どの部分を、どのタイミングで撮るかを指示するもの
澤田 で、なぜ行くかっていうと、大阪テレビってのがあって、これは朝日放送と(のちの)毎日放送が一緒に(合弁で)作ったテレビの会社。で、そこに原さん※ がいて、毎日放送からも誰か来てた。
その会社を(合弁を解消して)どちらか1局でやることになった。で、社長同士でじゃんけんしたら朝日放送の社長が勝って、大阪テレビは朝日放送が取ることになった。毎日放送は自分で別のやつを作るんだという。そこでお前が行けという解説は聞いたんだけどね。だけど、出向だと。だから籍が切れるわけじゃないってね。「あそこはお笑いが弱い、だからおまえはお笑いをやるんだ」と。
※ 原さん:原清 後に朝日放送会長
