沖縄戦から80年が経ちました。沖縄の80歳以上は、人口の7%です。日本全体でも90%が戦後生まれになり、近い将来、戦後世代しかいない沖縄がやってきます。【戦後80年 #あなたの623】は、胸の奥にしまい込んできた辛い記憶。家族のなかで避けてきた戦争の話題。今しか話せない大切なこと。今だから話せる戦争のことを聞いていく、シリーズ企画です。

富原貞子さん(102) #あなたの623

西原町に住む富原貞子さん102歳。80年前、多くの県出身者が暮らしたパラオで戦禍を生き抜きました。

1914年から31年間、日本の統治下にあったパラオ。首都コロール(当時)には、南洋群島の行政の中枢を担う「南洋庁」が置かれ、貞子さんは17歳で、この南洋庁に、憧れのタイピストとして就職しました。

▼富原貞子さん(102)「一番楽しい時期でした。タイピストやっている時、南洋庁時代が。若い青春時代を過ごした。各課にタイピスト1人。でも戦争が激しくなったらタイピスト部屋に総合して、防空壕掘るのと仕事するのと交代で」

戦況が悪化するにつれ、タイピストの仕事と壕を掘る作業を行き来するようになり、戦はコロールの町にもひたひたと足音を立てて迫りきていました。

10代後半の富原貞子さん