尊敬できる医師との出会い。諦めずにつかんだ試験合格

まどか先生は幼少期から医師になることを目指していたという。「子どもの頃は車のドアに指を挟んでしまったり、車にはねられてしまったり、整形外科に通うようなけがをすることが多くて。その時に治療に当たってくれた医師がとても良い方で、そこで素敵な職業だなと感じて目指したんです」ときっかけを語ってくれた。
そんなまどか先生に難関の医学部受験について尋ねると「私は野球を見ることが大好きで、高校や大学はもちろん、就職先も球場の近くで決めました」という答えが返ってきた。「ただ、球場が近い大学はどこもだいたい偏差値が高くて、ギリギリまでどうしようかと探して、自分の条件に合った大学を見つけられたのが出願の3日前。願書も手元になかったので、予備校に連絡して余りを受け取って郵便局に向かうも『土日は届かないかもしれません』と言われてしまって…。でも月曜日必着だったので、姉がその大学まで願書を出しに行ってくれました。姉は自分のおかげで受かったと言っていますね(笑)」(まどか先生)。
ドタバタと受験期を乗り越えたまどか先生は、どんな大学生活を過ごしたのか。「勉強に打ち込むタイプの学生ではなかったので、大変でしたね…。野球のシーズンが全て終わってから国家試験まで詰め込めるだけ詰め込んで。実は卒業試験も3日前まで球場にいたんです。そんな状況で『無理かも』とぼやいたら、仲間たちからは『自業自得だよ』と冷たく言われましたね(笑)。実際、一度卒業試験に落ちているのですが、卒業試験に落ちると国家試験には受かるというジンクスがあったので(笑)、追試と国家試験は無事合格しました。仲間たちの協力もあっていまの自分がいます」とドタバタ劇が続いたことを明かしてくれた。
気兼ねなく相談できる同期であり、仲間と出会った研修医時代

無事に試験を乗り越え、研修医となったまどか先生。そこで12人の同期と出会う。「最初はみんな何もできないので“お客さま”状態でしたが、少しずつできることが増えていき、『点滴ができるようになった』『手術の手伝いができた』と自慢し合いましたね。いま振り返ると楽しかったこともつらかったこともたくさんありましたが、いい仲間に恵まれたなと思います」と振り返る。
いまでも親交があるという同期たち。「12人全員はもちろん、その家族も集まって、昨年はバーベキューをしました」とうれしそうに語るまどか先生。12人それぞれ診療科が異なることから、自身の専門外のことで困ったことがあると相談に行くことも。「眼科の同期に、家族が白内障の手術を受けたほうがいいのか聞く人もいれば、私も頭に疾患ができてしまった時、脳外科の同期に写真を送ったところ『これはオペだ。病院へ行ってこい』と言われたこともありました。一番フラットに気兼ねなく相談できる医師であり、仲間。私も相談されることもあります」と頼れる仲間の存在を明かした。