イギリスの通貨ポンドが9月26日、1ポンド=1.03ドルと、パリティ割れ目前まで急落しました。売られたのは、通貨だけに留らず、株式や債券にも及び「トリプル安」が進みました。イギリス国債価格の急落(金利は急騰)を受けて、中央銀行であるイングランド銀行は28日、国債を緊急買い入れする市場介入に踏み切りました。
この国債買い入れは、残存期間20年以上の長期国債を無制限に買い入れる異例の措置で、イングランド銀行は「市場の秩序を取り戻す」と強い決意を表明しました。こうした措置を受けて、債券市場では国債価格は急上昇(金利は急低下)しました。トリプル安にはひとまず歯止めがかかりましたが、落ち着きを取り戻すかは、まだ見通せません。
■イギリス売りを招いたトラス新政権
今回の「イギリス売り」のきっかけは、9月に誕生したトラス新政権の経済政策でした。トラス氏の保守党党首選での公約を受けて、家庭や企業の光熱費負担に上限を設けるといったエネルギー高騰対策に、当初の半年だけで600億ポンド(9兆円)を支出すると共に、所得税減税や法人税増税の凍結など450億ドル(7兆円)もの大型減税案を打ち出したのです。当然のことながら、巨額の財政支出に対し、金融市場にはインフレ加速と財政悪化の懸念が一気に広がりました。
8月のイギリスの消費者物価は、前年比で9.9%にも達しています。中央銀行はインフレ鎮火のため7回連続利上げを行いながら、政府は「インフレの火に油を注ぐ」大減税と、真逆の政策で、アクセルとブレーキを同時に踏むような「ちぐはぐさ」が、市場の不安をさらに高めたのでした。前回のコラム(「24年ぶりの円買い市場介入、政府・日銀・アメリカの『微妙な合意』」)で、日本でも、円買いの市場介入と異次元緩和政策継続という政策の矛盾が表面化するリスクがあることを述べましたが、今回イギリスで起きたことは、政策の矛盾が市場の変動を必要以上に増幅したことに他なりません。
■予見性の低下が経済活動の大きなリスクに
経済活動にとって「予見性」は極めて重要です。「明日もこの商品が同じように買える」と思うから、買占めや買いだめが起きません。「貸したお金が約束通り返ってくる」という「予見性」に疑問符が付けば、あっという間に金融危機に陥る危険性があります。
今現在、ここ30年間考えられなかったインフレが急速に進行し、先行きの価格が見通せません。その上、アメリカの3回連続0.75%利上げに代表されるように、金利がどこまで上がるのか誰もわからないような、極度に「予見性」が低下した世界になっています。経済活動に参加する人々が皆、自分の見通しや常識に自信を失っています。こうした時に、唯一の灯台であるべき政策当局からのメッセージが「ちぐはぐ」になることは、リスクを、時に取り返しがつかないほど、大きくしかねません。
■リスクの芽は世界中に?
もちろん、今回の「イギリス売り」が直ちに危機につながるわけではありませんし、次の危機が何かを事前に特定することなどできませんが、アメリカが金融引き締めに転じ、それまでのバブル的な経済からマネーの逆回転が起きる際に危機が生じていることは、いわば歴史が証明しています。「利上げの終着点」が見えなくなった今は、新興国、低格付け債券、住宅市場はじめ、新たな金融危機のリスクの芽は、あちこちにあると考えたほうが良いでしょう。
今回、イギリスはトリプル安に対し、まずは国債市場への介入で対処しました。外貨準備が少ないため、「ドル売りポンド買い」の為替介入は無理と判断したのでしょう。翻って日本は、経常黒字国で、180兆円もの大きな外貨準備を持っています。だから「ドル売り円買い」の為替市場介入ができるのです。
しかしその一方、今回、財政の持続性が疑問視されたイギリスの政府債務残高はGDP比で87.8%(IMF推計値2022年)に留まっているのに対し、日本は262.5%(同)と、G7中、断トツの高さです。日本だけが危機から無縁だとは考えないほうが良いのではないでしょうか。世界の中で、日本だけが金融引き締めとは真逆の政策をとり続け、日本の中でも、政府と日銀の足並みが必ずしも揃わない中で、いったん「予見性」が崩れた際には、反動がひときわ大きくなりかねません。
播摩 卓士(BS-TBS「Bizスクエア」メインキャスター)