自分の家族の安否分からぬまま救助活動

 その地すべり災害の現場で当時、救助活動にあたった隊員に話を聞くことができました。西宮市消防局で働く、中越仁志さん(61)。地震発生時、中越さんは地すべり現場近くの消防署で勤務していました。

―――最初のアクションとしては、当日何をしたのですか?
 (中越仁志さん)「発災があった時には目が覚めていて、カーテン越しに『いつもより明るいな』というような感じで変だなと、違和感がありました。いきなりどーんと来て、地震だと思った」
―――活動としては、外の状況を把握しないといけない。
 (中越仁志さん)「まず出動する隊員の命・安全を確認しないといけない。幸いけがはなく、1人の隊員を連れて、屋上へ火災がないか確認に行きました。火は見えなかったので、火災は起きていない、と思いました」

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辺りに火事が無いことを確認し、ほっとしたのも束の間、地震発生から約10分後には周辺の住民たちから救助要請が相次ぎました。中越さんは現場に駆け付けましたが、そのときすでに手遅れの状態だったといいます。

 (中越仁志さん)「木造2階建ての家屋が潰れて、1人は見つけたが、もう1人は見つけられなくて。重機じゃないと無理だろうと。『悪いですけど、声もしていないので、次の現場に行かせてもらいます』と。すぐ近くでもう1人埋まっているということで、そちらに行った」

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 がれきの山に変わり果てた市内。想像を絶する現場で、助けを求める声に応え続けるうち、中越さんに大きな『不安』が生まれました。

(中越仁志さん)「西宮市内に妻と5歳と3歳の子どもがいて」
 ―――安否確認は?
 (中越仁志さん)「全くできませんでした。命があってほしいとは思いましたけど『助かってないかもしれない』と思いながら活動していました。分署に戻ってきたのが、(18日)夜中1時すぎくらいだったと思う。机の上に『家族は無事だ』というメモがあって、すごく勇気がわいてきました。それが本音です」

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 そして、直後に向かったのは、地すべりの現場です。西宮市仁川百合野町は、山のふもとに位置し、自然豊かで閑静な住宅街です。当時、川に沿って大量の土砂が押し寄せ、民家は下敷きに。周囲には煙が立ち込めていました。

 (中越仁志さん)「生き埋めになった方がいるかもしれないので、放水して煙を抑える。煙臭は若干ありました。放水すると土砂が崩れて二次災害になるかもしれない、余震もあるので」

 二次災害を起こしてはならない…はやる気持ちを押さえながら、救助活動は慎重に行われました。

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 地すべりで崩壊した斜面は、幅・長さともに約100mと広範囲に及びました。高く積もった土の山を前に、隊員たちはなす術もありませんでした。地すべり現場で突きつけられたのは、自然の脅威と人間の無力さでした。

 (中越仁志さん)「人間って弱いです。ちっぽけです。まさかここが崩れたとは想像もできないと思います」
 ―――人間の強さも感じますけれど。いろんな犠牲のもとに。

 警察や自衛隊とともに行われた救助活動。しかし、中越さんは地すべり現場で1人の命も救えませんでした。

 (中越仁志さん)「1つ1つの現場で最善を尽くすだけだが、最善を尽くしたつもりでも、ご家族にとっては『最善ではないじゃないか』と思われていると思うんです。それが心苦しいですね」

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 そもそもなぜ、地震の直後に仁川百合野町で大規模な地すべりが発生したのでしょうか。地すべりが起きる前に撮影された仁川百合野町の航空写真を見ると、斜面に複数の家屋が確認できます。この斜面は盛り土で形成されていました。専門家によると、一帯はもともと地下水が豊富な地域で、地震の前から地下水がうまく排出されず、盛り土が多くの水分を含み、不安定になっていたとみられています。

 そこに加わったのが、地震の大きな揺れ。地中で液状化現象が発生し、大規模な地すべりにつながったのです。阪神淡路大震災以降も地震による地すべりは、日本各地に大きな爪痕を残しています。