クーデター部隊が占拠した二つの大橋

クーデター部隊はボスポラス海峡にかかる橋を占拠した

それから563年後の2016年7月15日、トルコで軍の一部によるクーデター未遂事件が起きます。このときイスタンブールでは新しい世界遺産を決める国際会議=世界遺産委員会が開催されていて、私も取材のために現地にいました。街には爆音がとどろき騒然となったのですが、このときクーデター部隊がまず占拠したのはボスポラス海峡にかかる二つの大橋でした。そのひとつがファーティフ・スルタン・メフメト橋。かつてイスタンブールを攻略したときのオスマン帝国の皇帝、メフメト2世に因んで名付けられたものです。もうひとつのボスポラス橋と共に20世紀になって建造されたもので、これによってイスタンブールのヨーロッパ側とアジア側を船を使わずに行き来できるようなったのです。二つの橋を押さえれば戦車など自分たちの陸上部隊の行き来が自由に出来るし、敵の部隊の進入を阻むことも出来る…ここにクーデター部隊の狙いがあったと思います。

当時のオスマン帝国の皇帝メフメト2世

15世紀、ボスポラス海峡によって守られていたイスタンブールに対してのオスマン帝国の攻略ポイントは内陸の城壁でしたが、現代のクーデター部隊の攻略ポイントはそのボスポラス海峡にかけられた橋だったのです。海峡の都市イスタンブールの今昔が、それぞれの攻略に現れています。

クーデター自体は一晩で鎮圧され未遂に終わったのですが、ボスポラス橋では犠牲者も出て、事件後に「7月15日殉教者の橋」と名前が改められました。