布団にくるまりながら凍えていた母 救出されるも… 亡くなる2日前のメッセージは「ありがとう」

この日、高さんの店に一人の女性がやってきた。
高さんとは20年来の付き合いになる大家智子(おいえ・ともこ)さん。

地震で自宅が全壊。
この日は、約100km離れた内灘町の仮設住宅からはるばるやってきた。

智子さんの母・寿美恵さん(88)は、地震の際、輪島市内で一人で暮らしていた。
寿美恵さんは、地震で崩れた家屋の下に閉じ込められてしまったという。

高さん
「お母さんが震えていらっしゃった話を聞いて」

大家さん
「寒いし、痛いし、トイレもいけないし、動けないし。どうすることもできない」

智子さんは、がれきの下にいる母親から携帯電話で救助を求められた。

そばにいた夫の芳春(よしはる)さんが、急いで向かった。

夫・大家芳春さん(68)
「最初は、全然わからなかった。裏から入って、上がったけれども2階が潰れてたんで、ここをあがって覗いて『お母さん』と言ったら、小さい声で『はい』と言ったんで生きてると思って窓を開けて、お隣さんの部屋に入れた」

救出された直後の母・寿美恵さん。
当時気温は氷点下、布団にくるまりながら凍えていた。
胸部など3か所を骨折し、動ける状態ではなかった。

夫・大家芳春さん
「救急車も来てくれないし『自分で運んで下さい』と病院に言われたので、親戚の者に電話をかけて来てくれたんで、担架を作って、そこまで運んで」

輪島市は被害の規模が大きく、出動できる救急車は限られていた。
智子さんは、寒い部屋で母と一夜を過ごした。

翌日、幸いにして市内の病院に入院することができたが2か月後、息を引き取った。

亡くなる2日前、寿美恵さんはこんなメッセージを残していた。

「ケイタイで ケイタイで云って。ありがとう云うて、みんなに」

大家智子さん
「紙とマジックを持たせたら書いたんです、死ぬ2日前に。ありがとうって。最後に自分が苦しいのに『ありがとう』って」

智子さん夫婦が暮らす内灘町の仮設住宅。
母親が亡くなって20日後、悲しみの中、輪島市に災害関連死を申請し、その3か月後、認定された。

だが、先祖代々の墓も被災し、いまだに納骨すらできていない。

夫・大家芳春さん
「頭骨の一部と喉仏をこの中に入れて、他のものは菩提寺に預けて。亡くなった顔は辛そうで、私もショックでした」