「これ以上失うものはない」尹大統領が「戒厳令」に踏み切ったワケ

一方で、44年前、戒厳令のもとで軍の弾圧により166人の市民が犠牲となった光州事件の際には、軍が有力な政治家を自宅に軟禁し、国会を占拠するなどして、その機能を封じたため、国会の議決によって戒厳令を解除することはできませんでした。

今回、尹大統領も同様のシナリオを描いていたとみられ、軍を国会に向かわせたほか、与野党の有力議員を逮捕しようとしていたことも明らかになっています。

しかし、いち早く議員が国会に駆け付けて戒厳令解除の要求を議決。

市民らも街頭に出て抗議の声を上げる中で、軍は強硬手段に出ることはなかったのです。

そして、尹大統領は戒厳令にあたって国防相ら一部の関係者にしか情報を共有せず、戒厳司令官を務めた陸軍参謀総長も、大統領の会見を見て初めて知ったと証言していることから、そもそも国会封鎖に向けた準備は整っていなかったようです。

ではなぜ、そんな状況で「戒厳令」に踏み切ったのか?

韓国メディアは、尹大統領の支持率が大きく落ち込んだほか、株価操作などを巡る夫人への様々な疑惑などで政権が立ち行かなくなると悲観し、「これ以上失うものはない」という意識で賭けに出たとの見方を報じています。

韓国政治に詳しい慶應大学の西野教授は、「元検事総長の尹大統領は周囲に十分な根回しなく一度決めたら突き進むタイプ。今回の独断にも軍が従うと考えたのだろうが、民主化から40年が経過する中で軍人の意識は変化し、さらに国民も過去の経験から戒厳令への嫌悪が根強い。そういったところを見誤ったのでは」と指摘しています。