「何のための翻訳だったのか」ダンさんの苦しみ

1943年、ダンさんは、太平洋のキスカ島の作戦に参加した後、ハワイにある諜報センターに配属。日本語で書かれた軍需産業に関する膨大な資料の翻訳を命じられました。詳しくは知らされませんでしたが、空襲の作戦立案に使うためだったと見られます。

日系二世元アメリカ兵 ダン・オカさん:
「私たちは翻訳したものをアメリカの爆撃司令部に渡していました。彼らは(日本の)軍需工場の位置を正確に知っていたはずです。しかし、実際には、日本の主要都市が平らになるほど焼夷弾か何かで破壊されていたのです」

軍事施設を正確に狙うためだと思い翻訳を続けたものの、実際の空襲は、最終的に民間人を巻き込み日本の都市を焼き尽くしました。「自分たちの努力はなぜ、何のためだったのか」ダンさんは、晩年まで自問自答していました。

ダンさんは、終戦の前年、1944年にはテニアン島の作戦に参加。そこで撃墜される一機の零戦を目撃します。