最初は「よこしまな動機で行った」
元々、漫画家を志していた杉山さんは、海外を放浪する中でペシャワール会の存在を知り、2005年にアフガニスタンに渡りました。

杉山大二朗さん「困っている人を助けたいなんてそういう高尚な目的はなかったです。打算的な。1本描ければいいかなという感じでいいかげんと言いますか、よこしまな動機で行ったのは事実です」
当初は、軽い気持ちで向かったアフガニスタン。
しかし、中村さんと共に用水路の建設などに取り組む中で、紛争や飢え、感染症で命を落とす人たちを見て考えが大きく変わったといいます。
杉山大二朗さん「アフガニスタンという国でこういった命の尊厳っていうのはいつも突きつけられるんです。生と死がいつも交差しているというか、いつなんどき昨日まで元気だった人がきょうは違った姿になるなんてのはもう日常茶飯事なんですよ。6、7年近くずっといたのは、中村先生がずっと見捨ておけんっていう、素朴な良心をずっと見ていたからでしょうね」
治安悪化と中村哲さんとの別れ
現地で活動を続けていくつもりでしたが、治安が悪化したことから中村さんから説得され帰国を余儀なくされました。
杉山大二朗さん「恋する乙女じゃないですけども私を必要としないんですかみたいなね。先生は最後にはもう足手まといや理解しろ分かれ、みたいな感じで。私も若かったんで嫌な別れ方しちゃったんですよ」
漫画とエッセーで回想記

5年前の12月4日、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲さん。
杉山さんは、中村さんの思いや功績を伝えたいとエッセーと漫画で描いた回想記を出版しました。














