事件を起こすのは「死を恐れない人」市民の相互監視は「効果は無い」
Q 市民の管理を強化することでリスクをコントロールするという中国政府のやり方をどう思いますか?
「政府は社会に対する抑圧的な統制を強化することで事件を防ごうとしていますが、極端な手段を取る人々は死を恐れず、むしろ自ら死に向かって突き進んでいるわけですから効果は無いと思います。また、押さえつけるような方法にたとえ効果があったとしてもそれは表面的なものにしか過ぎません。 中国には『表面だけを治し、根本を治さない』ということわざがあります。表面的にはコントロールされているように見えても、根本的なことは変わっていないのです。なぜこれほど多くの過激な事件が次から次へと起こっているのか、深く分析し対処法を見つける必要があります。しかし政府はそう考えないでしょう。事件報道を許さず、ネット上の関連ニュースを必死に削除し、情報に蓋をするようなやり方をしていますが、それでは社会が事件について反省することはできません」
「中国で政治闘争が非常に激しかった時代の『楓橋(ふうきょう)経験』をご存知でしょうか。 かつて町内会、村などで黒五類(地主、富農、反革命分子、犯罪者、右翼)と呼ばれた人が袋叩きにあっていました。市民たちがこのような『反革命的』とされた人たちを監視することがありました」
※「楓橋経験」とは1960年代、毛沢東(もうたくとう)時代に行われていた治安維持運動のこと。住民をお互いに監視させ、治安維持にあたらせる。住民同士のトラブルやいざこざは大きくなる前に現場で解決せよという指示。中国政府は現在、新しい時代の「楓橋経験」を堅持し発展させるように、と指示を出している。
「私は相次ぐ無差別殺傷事件に対して、監視を強化することで問題解決ができるとは思えません。当局の事件に対する反応をみるかぎり、彼らは投資に失敗したり、家族関係に失敗した人たちを取り調べることで、事件の根本を解決しようとしています。また、刑務所の規模を拡大しているという話もあり、さらに厳しい取り締まりをしようとするかもしれません。私は「楓橋経験」のような、人々を相互監視させるような方法は必ずしも効果が無いと思います。当局は私に行っているように市民を監視するのかもしれませんが、暴力や極端な手段に訴える人たちには何の意味も持ちません」