終戦後、アメリカ軍が奄美を統治下に置いた8年間。奄美の子どもたちに少しでも質の良い教育を受けさせたいと、島の教員たちが本土に密航し、本土の教科書を持ち込んでいました。

当時、命がけで教科書を運んだのが、名瀬中学校の教員だった深佐源三さんと、奄美小学校の教員だった森田忠光さん。

森田忠光さんの弟・勇さん(82)と会うことができました。

(教科書を運んだ忠光さんの弟 森田勇さん)「学校の再建のために一生懸命やっていた(Q.それで教科書を?)うん」

兄の忠光さんと20歳ほど年が離れていた勇さん。奄美の教育に尽力した忠光さんは特別な存在だったようです。

(教科書を運んだ忠光さんの弟 森田勇さん)「別格ですね家の中でも。昔の先輩たちがみんなで一生懸命、教科書集めや全てをやってくれた」