理解する、多面性が生み出すリスペクト

──監督がお持ちのそのポリシーを貫く心の強さはどこからきていますか。
多面性だと思います。自分から見た正しさは他人から見たら正しくないこともあるかもしれない。それを理解することが僕が思う多面性です。ものづくりを続けていくと、いろいろな人に出会います。そういった人たちを知れば知るほど、それぞれの正義が見えてきます。立場が変われば、言うことが前と変わる人もいますよね? それに対して「前はああ言ったじゃないか。あなたは間違っている」と考える時代は、僕にとってはもう終わりでいいと思っていて。考えが違うもの同士が対話すれば、リスペクトが生まれると思いますし、実際、考え方が違う者同士が集まっても、作品への愛やリスペクトが一つになっていく姿を何度も目撃しています。だから僕は、そこを信じたいなと思っています。
──他者へのリスペクトは難しいですが、どんなことを心掛けていますか。
いまって“ラベリング文化”だと思うんですね。メディアが定義しているから、フォロワー数がこれぐらいだから…といったように、何事にもラベルを貼る。自分の目を信じなくても生きやすくなってしまった世の中だとも言えると思いますが、それは、今作にも通ずることかもしれません。結局、“正体”という言葉はとても難しい。たとえ、99%の人が「これは悪だ」と言っても、自分にとってそれが悪だと思えないときもある。そういう意味で、この映画を通して、鏑木の生きている姿をみなさんがどう感じてくれるかとても楽しみです。
ある目的を持ち、【5つの顔】に姿を変えながら逃亡し続ける鏑木慶一。どれだけ過酷な状況に置かれようと、目的のために闘う鏑木に藤井監督が込めたのは、人の本質が見えづらい現代への問題提起なのだろうか。監督自身、自分が置かれている立場が変わろうと、ものづくりへのスタンスは揺るがない。「難しいことは考えずに観て、楽しんでほしい」と監督は言うが、受け取り方はきっと人それぞれ。藤井監督に多種多様な考えを受け止めることができる許容力があるのは、映画を志したころから変わらないポリシーがあってこそだろう。















