沖縄が日本に復帰すると、沖縄の放送行政にも日本のルールが適用されるようになります。

1つの放送局が2つの電波をもつという“例外”は認められず、戦後の激動の時代を沖縄とともに歩み続けたKSBKは復帰の翌年、その歴史に幕を下ろしました。

川平朝清さん
「日本の場合はどちらかというと、その放送を出す方が、全国にあまねくとかですね、政治的に中立公平であるべきだっていう、そういうようなことに重点を置かれてるんですけど、アメリカの放送の場合はですね、そのいわゆるリスナーっていうのをパブリックっていう捉え方してるわけですよね」
「聴取者が何を求めているかっていう、聴取者の関心に応え、そして便宜を図るべきだと」
「これは日本でも聴取者の立場っていうのを感じとるってことは、非常に大事だと思いますね」

”異民族支配”の下に生まれた異色の放送局「KSBK」。気骨あふれるスタッフたちによる放送は、半世紀以上も前に、メディアの果たすべき役割を自任していたのかもしれません。

川平朝清さんの貴重な証言は、20日夕方6時15分からのRBC特別番組でさらに詳しくお伝えします。