(桜島フェリー元船長 谷口和矢さん)「負けないのは接岸。昔は卵・豆腐が割れないような着け方をしなさいと、自分たちの先輩たちの習いだった。(Q.割れたことはない?)あるよ(笑)」

旧西桜島村出身の谷口和矢さん、70歳です。5年前まで40年間、船長を務めてきました。特に印象に残っているのが、夏の採用試験の時期と台風接近が重なった日の運航です。

(桜島フェリー元船長 谷口和矢さん)「あと1時間で台風の暴風域。県庁職員の採用試験、教職員の採用試験の人たちがいっぱいいる。運航させてくれと、運航したことがある」

幼いころから桜島フェリーが身近にあったという谷口さん。元船長として、住民として、錦江湾をフェリーが渡る景色を見続けたいと願っています。

(桜島フェリー元船長 谷口和矢さん)「桜島とフェリーは、なくてはならないもの。私の人生の宝物」

桜島の人口は現在3200人あまりで、10年前から3割ほど減り、今後も利用者の減少が見込まれますが、フェリーは活火山とともに暮らす住民になくてはならない交通手段です。

(鹿児島市船舶局総務課 今吉洸貴主事)「物流を支えることはもちろん、島内や垂水方面の方の緊急搬送や命に係わることを担っている大切な交通網なので、これからも下支えしていきたい」

生活スタイルや仕事の多様化、交通インフラの発達など、地域をとりまく環境が大きく変化した90年。時代の波に揺られながら桜島フェリーは進み続けます。