「1階全部水浸し。ボロボロに壊れました。私はたまたまデビューで東京に居ましたが、今みたいに情報もなく、どうしたらよいかわからない…、生きてるか死んでるかもわからない。戻った時、たまたま給水車の前でお姉ちゃんに出合って、その場で泣きました」

中越地震以降も、さまざまな災害が発生し、そのたびに大きな被害が出ています。

「先輩の皆さんのいろいろな知恵を絶対聞いた方が良い。東日本大震災で新潟の皆さんと一緒に東北に行った際、こんなときどうしたらよいですかって皆さんに聞かれました。絆というか、持ちつ持たれつ、明日は我が身。だから一緒に共存していくことはとても必要…」

支援を続ける小林さんは、被災地でこんなことを感じているそうです。

「私が歌ってて、『さっちゃんに元気もらったよ、ありがとう』とよく言われますけど、それは違うんです。私も元気をもらっている。それがずっと循環している。だから私もありがとう、お互いありがとう、それで良いと思っています」

「デビューから60年間こうして歌ってこれたのは、故郷の皆さんの応援のおかげ」と話す小林幸子さんの、元気な姿や歌声が被災者の力になっていると感じました。