表現したい気持ちが「そちら」を選ぶ?

夜空に広がる星々を表す言葉に「満天の星」があります。ところが、この「満天の星」を「満天の星空」と表記してしまうことがあります。「満天」は「天を満たす」のですから「空いっぱい」「空一面」という意味です。「満天の星空」ですと「満天」と「星空」に、それぞれ「空」が含まれているので重複してしまいます。「空いっぱい」「空一面」にあるのは星なので「満天の星」になります。

同じようなことに「満面の笑顔」があります。これも「満面」に「顔いっぱい」、「笑顔」に「顔」と、どちらにも「顔」が含まれ重複してしまいます。「満面」に広がるのは表情なので「満面の笑み」が本来で、「満面の笑みをたたえる」や「満面に笑みがこぼれる」といった使い方になります。

ところが「満面の笑顔」をしばしば目にしたり、耳にしたりします。これは「笑顔」を「顔」ではなく、「笑った(顔)」「ほほえんだ(顔)」という「表情」としてとらえ、「満面の笑顔」と表現してしまうのかも知れません。

「表現したい」気持ちが、「満天」では「星」よりは「星空」を、「満面」では「笑み」よりは「笑顔」を選ばせてしまうのかな、と想像しています。

「教訓」ではありますが…

「他山の石」という言葉があります。「他山の石以て玉を攻むべし」という「詩経」の言葉が由来で、「他人の『よくない』『誤った』『悪い』行動や言葉を、『自分を磨くことに役立てる』『教訓にする』」という意味で、「彼の失敗を他山の石として、皆で精進しよう」といった使い方をします。

この「他山の石」には、確かに「教訓」という意味がありますが、使い方に注意が必要です。前提として「他人の『よくない』『誤った』『悪い』行動や言葉」があるからです。ある人の行動について「他山の石」を使えば、その「ある人の行動」を「よくない」「誤った」「悪い」と評価したことになります。その行動(人)の善し悪しを評価する必要がないのに「他山の石」を使う例をみかけました。単に「教訓」の言い換えとして使っていたのです。

この「他山の石」は10年ほど前、文化庁の「国語に関する世論調査(平成25年度)」で取り上げられました。本来の「他人の誤った言行も自分の行いの参考にする」という意味で使うと答えた人は30.8%、本来の意味ではない「他人の良い言行は自分の行いの手本になる」という意味で使うと答えた人は22.6%でした。

注目したのは、意味が「わからない」と答えた人が最も多い35.9%だったことです。もしかすると今、調査すると「わからない」がもっと増えるのではないかと想像します。「他山の石」は、はっきり意味がわかるように示して使わないと、伝わりにくい表現になったのかな、と思うのです。

「言葉」を停泊中の「船」、「本来の意味」を「錨(いかり)を下ろした場所」に例えてみましょう。大きな波風があっても「錨」をしっかり下ろしていれば、「錨」を中心に「船」は一定の範囲内にとどまり、流されることはありません。でも錨を上げて「船」は移動しますから、別の場所に停泊すれば「錨」を下ろす場所も変わります。

ひょっとすると、あまりに波風が強くて「錨」とともに「船」が流される、なんてこともあるかも知れません。「言葉はいきもの」ですから、本来の意味が変わることはあるでしょうし、許容範囲が変わることもあるでしょう。そうした言葉たちが「今後、どこに流れてゆくのだろう」と、想像することが多くなったように感じています。

<執筆者略歴>  
内山 研二(うちやま・けんじ)
1963年生。1987年東京放送入社。ラジオ記者、ラジオ制作、ラジオニュースデスク等を経て、2018年よりTBSテレビ審査部。

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。