「託麻」のルーツは奈良時代?

藤野さん「熊本市の半分は託麻なので」
後生川アナ「熊本市の半分が託麻?さっきと話が変わっていらっしゃる…(笑)」
藤野さん「『託麻郡』というのがもっと広い範囲でありましたので」

実は、託麻村が発足する、さらに昔、南は川尻あたりまでの白川左岸全域が「託麻郡」だったといいます。
藤野さん「歴史的に言えば奈良時代、もっと前かもしれない。奈良時代から託麻郡はあって、この範囲でずっと託麻郡として続いてきた」

その後1896年(明治29年)に、「飽託郡」が発足したため「託麻郡」は消滅。
奈良時代から続いた地名は無くなったものの、南区や中央区にはその名が、令和の今も残っていたのです。