備前市在住で備前焼の人間国宝である伊勢崎淳さんが、この夏、息子で陶芸家の晃一郎さんと窯を焚きました。息子が声をかけ、親子で挑んだ十数年ぶりの窯焚きに密着しました。
■「あの時、あの焼けがほしい」親子で挑む十数年ぶりの窯焚き

7月備前市の山裾で古の窯・穴窯の焚きが佳境に入っていました。窯の火を確認するのは、備前焼の人間国宝・伊勢崎淳さん。そして、弟子たちと窯の番をしてきた息子で陶芸家の伊勢崎晃一郎さんです。

この穴窯は一度は失われ、約60年前、淳さんが父や兄と復元した大窯です。



原始的な穴窯は内部に仕切りがなく、炎の扱いが難しいものの焼き方次第で鮮やかな緋色を産みだします。登り窯が主流となる中、忘れられた技を掘り起こし、独創的な作品を次々と生み出した淳さんは、やがて人間国宝に上り詰めます。



Q人間国宝最初の作陶はいかがですか?

(伊勢崎淳さん)
「これは作陶のうちに入らない。みなさんの前で形だけをしているから」
あれから約20年。今年86歳を向かえました。

(伊勢崎淳さん)
「年はとりたくない。目を何回も手術をしているから涙が出る。視力に左右の差があるので真っすぐ歩けない」

意欲はあるもののつくる数は減りました。他界した父や兄と復元した穴窯は、大型のため、ここ4年手を付けていません。
Q先生の新作はいつ頃ですか

「わかりません。できないかもしれないし」
「補聴器どこかに忘れてきた」

ところが春、一人息子の晃一朗さんが一緒に大窯をたかないかと声をかけます。自由な感性を何よりも大切にする親子は互いの道を歩もうとこれまで、工房を分けて作陶に励んできました。
当然、作品にはこれまでもこれからも口は出さないけれど、二人の陶芸家は誰よりも近くにいて誰よりも互いを気にかけてきました。

(伊勢崎晃一郎さん)
「全く別の知らない他人の窯は分からない。でも僕はずっと一緒にやってきている。あの時、あの焼けがほしいのはある。僕自身にもある」

五分と五分。大窯を二人の作品で埋めるのは晃一朗さんにとって初めての挑戦でした。