民間の山岳捜索会社に協力を求めたのです。

7月には、捜索のための調査を行いましたが、山岳地帯での捜索のプロからは、厳しい見方を突きつけられました。

山岳捜索会社・マウンテンワークス 三笘育代表:
「災害から10年という時間が経っていて、今見ている地形というのが、噴火以降に溜まった灰や石が土石流として流れて地形をだいぶ変えている。たとえ現場に行きついて見かけたとしても、骨であると認識するのは難しい時間になっている」

野村敏明さん:
「野村家としては可能性が限りなく低くても捜索をやりたいという思いは改めて強く感じました」

そして、9月23日。

亮太さんの捜索を行いました。

あの日、一緒に登山していた叔父の正則(まさのり)さんが、亮太さんに語りかけました。


亮太さんの叔父 野村正則さん:
「どこにいるんだ亮太。出て来いよ。連れて帰りたいけど、どこにいるかわからなきゃ連れて帰れないよ」

急峻な斜面を下りながら6時間ほどをかけての捜索。

手掛かりを見つけることはできませんでした。

亮太さんの父 野村敏明さん:
「この広い御嶽山の斜面を捜せば捜すほど深みにはまっていく感じもあります」

亮太さんの叔父 野村正則さん:
「残念ながら手がかりは私たちには見つけられませんでした。捜索活動は私としては続けていきたいという気持ちはあります」

この10年、敏明さんを突き動かしてきたのは最愛の息子を連れて帰るという強い覚悟です。


野村敏明さん:
「一部でも見つかればものすごくうれしいし、見つかったものを家に帰して供養して最終的にはお墓に入れたいし、そうすれば今まで区切りがつかなかった気持ちの中でも整理できるし、それが叶わなくて最終的に見つからなければ、この気持ちは墓場まで持って行くしかないかな」