津田地区で口々に語られる雨の記憶・・・
第二次「黒い雨」訴訟 原告 谷岡幸 さん
「落ちてバーンっていうた時にはね、やっぱり怖いと思うたがね」
谷岡幸 さん、90歳。当時は6年生で、学校の帰りに雨が降ってきたといいます。一番印象に残っているのは、麦畑の前を通った時のこと。登校時には麦こぎの準備をしている場所でした。

第二次「黒い雨」訴訟 原告 谷岡幸 さん
「2、3人で一緒に帰ったよ。10時過ぎぐらいだったかな。麦こぎをするのに、(麦が)もう濡れるけ、(はでに)シートをかぶせよったけえね。覚えとるね。ここら辺でね」
谷岡さんは、原爆が落ちた翌年に「心臓衰弱」だと医師から言われ、現在は腎臓病や高血圧を患っています。

谷岡さんは、24日、県に対して、被爆者健康手帳申請の却下処分取り消しを求めて提訴しました。第二次「黒い雨」訴訟の原告は、去年4月以降、これで64人に上ります。
原告らの申請が却下された主な理由は、そこに「黒い雨が降ったかどうか確認できない」からです。

行政的には、この雨域=雨が降ったとされる範囲の外は「わからない」とされているのです。その一つが、廿日市市津田。原告の4割を超える27人が、雨に遭ったことを主張している地域です。
当時9歳の男性
「この辺ですよ。この辺です」
裁判の原告に限らず、津田地区で「雨に遭った」という人たちを取材しました。

当時4年生だった男性は、祖父から預かった野菜や花を運ぶために店に向かって歩いていたら、雨がひどくなり、売り物にならなくなるために引き返したといいます。
当時9歳の男性
Q. もうずっとその間、降っているような感じ?
「そうそうそう、ここはもう土砂降りだったけぇね。大きな粒の雨ですからね」
男性は、13年前に血液のがんになり、前立腺がんや白内障も患っています。
当時9歳の男性
「自分は(雨に)遭っているんです。それは嘘でもなんでもないんですよね。それだけですよね。訴えることは」