「データがあれば雨域は広がる可能性がある」
第二次「黒い雨」訴訟 原告 高野鈴子 さん
「とにかく、隣の町の友和に爆弾が落ちたから、もっとこっち来るかもわからないって、もうとにかく、おんぶしたり抱っこしたりね。逃げたって言っていました」
原告の1人でもある高野さんは、当時2歳。記憶はありませんが、母や姉から原爆投下後に防空壕に逃げた話など、繰り返し聞かされていたそうです。

第二次「黒い雨」訴訟 原告 高野鈴子 さん
「長い時間だから、中は真っ暗だし、ぐずぐずぐずぐず言ったんだと思います。この中にお芋が入れてあったから、さつまいもが。それをかじって。もう(防空壕の扉を)開けてみたら雨が降っているけど、まあ濡れてもいいわ。家に帰ろうって言って、濡れながら家に帰ったんだそうです」
高野さんは、直後に下痢や高熱があり、その後もずっと体が弱く、17歳の時に甲状腺機能低下症だと判明しました。
第二次「黒い雨」訴訟 原告 高野鈴子 さん
「悔しいです。本当にあったのに。全部、こう押さえつけられているっていうか、ないものとされているから。命ある限り言い続けたいと思います」

気象学者 増田善信 さん
「ここにデータがあれば・・・(ふくらませた線を書いて)こうするのは当たり前」
約40年前、手弁当で調査した気象学者の増田善信さんは、それまで「雨が降った」とされていた範囲を4倍ほどに広げる結論を論文として発表しました。そして、その論文の中で「データ数が不十分なエリアでは今後、雨域が広がる可能性がある」ということを明示していました。
気象学者 増田善信 さん
「(当時は)それが限界だったんですよね。それ以上の(アンケート用紙)が届けてあれば、(雨域が)もっと広がる可能性っていうのは十分ある」
現在も「黒い雨」の降雨地域を再検証する検討会の委員として、国の責任で体験者からの聞き取りや体験記の分析を、範囲を広げて調査することを提案し続けていますが、未だ実施されていません。

気象学者 増田善信 さん
「(調査をすれば)さらに良くなるっていうことはわかっているのに、それをやらないっていうのは、(国は)本当に被爆者を援助する気持ちがあるのかどうか」

今回、1945年8月6日の雨について話をしてくれた4人は、当時、津田町の約2kmほどの間にいた人たちでした。
最後に、気象学者・増田さんの言葉をご紹介します。
「科学者は事実に対して謙虚でなくてはいけない。新しいデータがあれば、これまでの結果を見直すのは当然のことだ」