
「ここに来たらおじいちゃんに会えるみたい。ここで亡くなって大変なことがあったんだなと偲ぶ気持ち」
京都府に住む 大井千世 さんです。祖父の 真下俊一 さん(当時57歳)を亡くしました。かつて病院があった場所に設置された慰霊碑に毎年、来ています。京都大学医学部で教授をしていた真下さんは、原爆調査班の一員でした。

1945年5月に開設された大野陸軍病院には木造2階建の本館を中心に何列もの病棟が立ち並んでいました。
8月6日ー。原爆投下後、病院には次々と負傷者が運び込まれ約100人の被爆者が収容されました。そして9月から京都大学医学部と理学部の教授や学生で構成された調査班が派遣されることになります。
真下さんの孫 大井千世 さん
「患者さんを助けてあげたい。広島の病気の人を助けてあげたいという思いで、その日、自分自身はお腹を壊していて、もう1日伸ばしたらと家族に言われたらしいが、早く行かないとダメだという使命感に燃えて」
患者を助けたいという思いで真下さんが15日に京都を発ったわずか2日後、枕崎台風が襲来しました。