爆発で一緒にいたドライバーが負傷

 ―――ウクライナ軍とコミュニケーションをとりながら、最新情報を手に入れながらということですね。自分が死ぬかもしれないという恐怖はなかったですか?

 「リシチャンシクの爆撃のときは5mくらい離れたところで爆弾が爆発してしまって、その破片で僕たちのドライバーさんが負傷してしまったんですけど、すぐに隠れて、隠れている間に2発目3発目が飛んできました」
 ―――カオルさんが一緒にいたドライバーさんは負傷したと。ドライバーさんはその後どうなったのですか?

 「ドライバーさんの肩に爆弾の破片が刺さって、結構角度が悪いらしくて、神経線を切断させながら背骨のところまで到達してしまって、ちょっと今は右半身がまだ動かない状態で、リハビリに2年間くらいと言われています」

 ―――この後、土地勘があるからドライバーさんは片手で運転して、みんなと共に病院に入ったということですね?

 「そうですね。病院は3分くらいのところにありましたので」

取材時は「防弾チョッキ」を着用して「止血帯」などを携行

 ―――そういう状況の中で、できることは非常に限定的だと思いますが、安全確保というか、どのような対策をとって取材を進めているのですか?

 「基本、ウクライナ軍が発行している記者証、戦時中の記者証みたいなものがあるんですけど、その有効条件としては防弾チョッキの着用と明記してありまして、そもそもそれを着ないとまず前線のところに行かせてもらえないです」

 ―――撃たれたときや破片が飛んだときのための「止血帯」という道具も携行するんですね?

 「そうですね。巻いてプレッシャーをかけて、腕に行く血を止めるようなものがあります。それを使ったのは初めてでした」

 ―――止血帯をドライバーさんにそのとき使って、何とか応急処置で血を止めて病院まで行ったと?

 「はい。でもちょっと当たるところが悪くて、止血帯でもどうにもならない傷がありました」

 ―――リスクと常に隣り合わせということですよね。怖い、やめたい、もう帰りたいという気持ちになることはなかったですか?

 「実は前線の町ではまだまだウクライナの一般市民で残っている方もいらっしゃいまして、そんな民間人が残っている中、記者が先に逃げてもしょうがないと思いますので、大丈夫です」