橋の上で亡くなったままになっている市民を目撃

「実は戦争が始まった2月24日に、僕はたまたまブチャにある町にとまっていまして、その日も爆撃の音が聞こえて起きたようなものですね。その後ブチャを出てキーウの中心部まで来たんですけど、虐殺が終わってからも二度と戻ることはなかったです」
―――今回の取材の中で民間人が殺害された状況というのも目にしたんですか?
「特にイルピンとキーウの間には壊された橋があって、3月の頭とか中旬くらいに人道回廊があって、そこでイルピン方面の民間人がキーウへ逃げてきたんですけど、逃げている間にも爆弾が飛んできて、橋の上で亡くなったままになっている市民もいました」
―――特に最初のキーウ近郊は激しかったと思います。JNNもこの辺りの町に入っていますけれども、本当に綿密に計画をして入っていたと思います。やはりロシア兵の影があるときには近づかないとかそこら辺の不文律があったのですか?
「基本的にはウクライナ軍が町の要所を守っていまして、この先にもしロシア兵がいるとして通ろうとすると大体止められてしまうんですね。ですからなかなかロシア兵自体と会う機会もなかなかないんですね」














